天誅組・・・
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これ以上天誅組についてレポートする気が無くなりました。
終焉の地・東吉野村に入ってから、天誅組の行為を「善し」とする表現ばかりが目に付きます。
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義士・・志士・・烈士・・・等々、おまけに明治天皇の親族にあたる人の志に加担したのが功績とか?で勲位まで与えるなど・・・
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上の画像、墓の柵に括られていた紙切れ・・・下のような文言です。
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まず最初に、罪もない人々を焼き討ちにするなどした侘びや謝罪が何処にも見当りません。
維新という大義名分が後付されると、ピンからキリまで美化されている様子は理解できません。

“討つ人も討たるる人も心せよ
       同じ御国の御民なりせば”


 なんと冷静な心なんでしょうか、・・・十津川の人の辞世句です。

一方に偏らず、行政できないものでしょうか?
by ikomasanroku | 2008-10-08 19:49 | 歴史街道
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